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神戸地方裁判所 昭和36年(ワ)1007号 判決 1963年10月30日

原告 阪田奈美雄

訴訟代理人 山道昭彦

被告 国

訴訟代理人 杉内信義 外三名

主文

被告は原告に対し、金五〇万円およびこれに対する昭和三六年一月二〇日より支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求はこれを棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決の第一項は原告が金一五万円の担保を供したるときは仮に執行できる。

事  実 <省略>

理由

(一)  原告が機附帆船第一二神鋳丸三九・八屯(発動機五〇馬力、船長阪田十四秋)を所有していたこと、同船は昭和三六年一月一九日午后二時頃鋼材七五屯を積み兵庫県高砂市洗川を出港し、神戸市葺合区脇浜の神戸製鋼所岸壁に向つて航行中、同日午后六時一〇分頃神戸港内に於て大蔵省神戸税関所属の機船せと二八・二屯(船長角杉謙司)と衝突し、その船体に損傷を受けて浸水し、同日午后六時三〇分頃沈没したことは当事者間に争いなくその衝突地点は成立に争のない甲第一〇号証により神戸港第二防波堤灯台から約西四分の一、南五二〇米の地点であつたことが認められる。

(二)  よつてその衝突時の状況につき案ずるに、成立に争のない甲第一、第一〇、第一一号証、第一三号証の一、二、三、第一五号証、証人阪田十四秋、角杉謙司、各尋問の結果と当裁判所の検証の結果によれば前記昭和三六年一月一九日、午后六時頃、原告船は船長阪田十四秋が操舵して神戸港の西方より和田岬の関門を経て同港に入り船尾灯その他正規の灯火をつけ南西より北東第五突堤の方に向け時速三乃至五ノットで前進し、同港内第一〇番ブイの南西の方向に少し離れた処で左舷前方に一機附帆船を認めたため速力を落し、左舵をとつてこれを躱して前進したが被告船(密輸監視取締船)も亦丁度その頃同港内第一三番ブイに係留中の汽船ほのるる丸の入港尋問を終えて固所を出発し発進地に帰投すべく原告船の右舷後方より同港の北西、メリケン桟橋の方に向け、時速五乃至八ノットで前進した。このように速力に秀れる被告船は原告船の右舷後方より北西を針路に向け、北東に針路を向けて走る原告船を斜めに追う関係となつたから(危険のないよう前方を充分注視し事故の発生なきよう注意すべきであつたに拘らず、被告船の操舵に当つていた船長角杉謙司は寒さを避けるため、より高い位置にあつて見通しのきく後部操舵室におらず、より低い位置にある前部操舵室に於て操舵に当つたことと、沖から北方の陸上を見る場合、陸上にはネオンその他多数の灯火があつて陸上の灯と海上の灯との区別がつき難かつたため前方海上の看視が十分できなかつたこと及び前記前部操舵室の船長の左右両舷側にあつて前方を見張つていた水夫田中某、土佐某の両名も前方を走る原告船の存在に全く気づかず前進した過失のためと、原告船も亦前記のごとく左舵をきつて機附帆船を躱して間もない頃、既に日が暮れ船舶の往来の多い神戸港内で転進するには危険のないよう十分前後左右を見張りして行動すべきなるにこれを怠り右舷後方より被告船が追つて来ることに気づかず舵を右に切つて前進したため同日午後六時十分頃、前記に認定した場所に於て被告船はその左舷前部を原告船の右横梢後部に斜後から内角三十数度の間隔を以て衝突させて同所に損傷を与え、そのための浸水により同日午後六時三十分頃、原告船をして神戸港川崎信号所の東方約三〇〇米の地点に於て沈没するκ至らしめたことが認められ前掲各証拠の中以上の認定に反する部分はこれを採用しない。

就中証人角杉謙司、河田実の各証言、や甲第一一号証にある、海難審判廷に於ける証人吉田正幸、桶土井康昌の原告船は船尾灯をつけていなかつた、衝突直後、原告船の船長が、被告方係官に対し「いつもはつけているが、今はつけていなかつた」という趣旨のことをいつたという各供述は証人阪田十四秋の証言、同人の海難審判廷の各証言や衝突直後現場から船尾灯が引あげられた事実に比べ措信し難いので前記のごとく原告船は船尾灯その他の灯火をつけていたものと判定する。

尚この衝突につき原告は自らが海上衝突予防法第二四条の権利船である旨、被告は自らが同法第一九条の権利船である旨主張しているので案ずるに前掲甲第一〇、第一一号証によれば本件衝突前原告船が他船を繋して左転したときは原告船は被告船とほぼ平行線上にあつてその右舷後方に被告船があつたこと、又原告船が右に転じてからは同船が被告船の針路を横切つた横切り関係になつたことが認められるが被告船にしてつとに原告船の存在に気づいていさえすればたとえ原告船が後に急に右転しても衝突の危険は避け得られた筋であるから被告船の義務船たることはその後に於て横切り関係となつても変化しないと考えるのを相当とし被告船が権利船であつたという主張は採用しない。なぜなら追越関係を規律した前記法第二四条が追越船は被追越船を確実に追越してしまうまでその進路を避けねばならないと規定しているのは追越船は後から来るのであるから被追越船の動向をよく見きわめ得る地位にあり一旦追越関係が生じた以上は被追越船の動向によく注意しその後に生じた変化にも拘らず義務船としての注意規定を守るというのでなければ本件のごとき場合の予防たり得ないと考えられるからである。(同法第二九条、第二七条参照)このことについて海難審判庁の理事官は海上衝突予防法の規定は二船間に衝突のおそれがある場合にのみ適用され本件衝突に適用があるのは、原告船が舵を右に転じてからの約一分間にしか過ぎないと論告しているが、いやしくも二船が接近して見合の関係が生ずれば衝突の危険があるからこそかる規定があると解され衝突寸前でなければこの関係にあらずという見解は採用しない。しかし本件は被告船が見合関係を認識する以前の段階たる前方注意義務を欠き原告船を認識しなかつた過失により起つたことで後者の過失は前者の過失を包合する関係にあり、被告船の過失は動かず、且つ原告船に全く過失なしということにもならないのでこのことについてはこれ以上言及しない。

以上の如く本件は被告船の前方注視義務を欠いたことと原告船の前後左右を注意して舵を転ずべきに拘らずこれを怠つたことのため生じたことであるから被告船の使用者たる被告は原告船のこの過失を斟酌して原告に与えた損害を賠償すべき義務ありといわねばならない。

(三)  そこで原告の蒙つた損害について案ずるに証人中川与八郎、阪田十四秋、各尋問の結果、それにより真正に成立したものと認められる甲第三・第四号証、鑑定の結果によれば原告船は昭和一三年一二月に進水した木造の機附帆船で昭和三五年六月八日原告が訴外中屋海運株式会社より金八八万円で購入したものであること、沈没当時はこれを新造すれば屯当り九万円として約三六〇万円を要するも耐用既に二五年に及んでいる関係上その約二割に相当する七五万円の価値を有したこと、同船上には錨、ロープ、舷灯、白灯、ランプ、コンパス、晴雨計、消火器等の附属船具(甲第四号証)を積込んでいてそれは昭和三五年四、五月頃までに同船に整備されたところその新品としての価格全部を今見積れば合計金一八万七、五五三円であることが認められるが、右附属船具は既に中古品であるから、証人阪田十四秋の証言を参酌し、その価格は金十万円を下らないものと認め、以上合計八五万円が原告が本件衝突によつて蒙つた損害というべく、原告の求める機関修理費はその立証もなく、且つそれは船価に折込まれていると見るのが相当であるから、これは考慮しない。次に原告の求める得べかりし利益一〇二万三、〇〇〇円について案ずるに物の滅失の場合の損害賠償は滅失当時の交換価格が即ち通常生ずべき損害であり、その交換価格の中には将来における通常の使用収益による得べかりし利益も包含されていると考うべきものなるところ原告の要求するこの利益はその主張自体原告が本船を高砂市と神戸市間を物品輸送のため往復するという通常の業務によつて得べき利益を求める趣旨であるからこれを認めることはできない。又これを当事者が予見し又は予見し得べき特別の利益の主張なりと認めるとしてもそれに副う立証がないので、原告は前記の通りの交換価格に対する年五分の遅延損害金を以てやむを得ないものとしなければならない(大正一五、五、二二大審院判例参照)。

(四)  以上のごとく原告は本件事故により合計金八五万円の損害を蒙つたのであるが、既に認定したごとく本件衝突には原告船の過失も寄与したものであるから過失相殺の理により被告は前記金八五万円より金三五万円を差引いた金五〇万円及び之に対する本件事故発生の翌日たる昭和三六年一月二〇日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を原告に賠償すべきものといわねばならない。

よつて原告の請求をこの限度に於て認容し爾余の請求はこれを棄却することとし、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条第九二条仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 森本正 菊地博 坂元和夫)

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